「少人数だと協調性が育ちにくいってほんとう?」
「少人数で、気の合う子がいなかったらかわいそうじゃない?」
「縦割り保育だと、年齢別の活動がないけど大丈夫なの?」
どうも、里山保育やまぼうし園長のたける父ちゃんです。
今回のテーマは『少人数・縦割り保育』です。
少人数というのにも不安を感じる方は多くいらっしゃるみたいです。
最後におまけで、いろいろなタイプの子(おとなしい・虫がきらい・女の子などなど)が森のようちえんに合うのかどうかも書いてみましたので、ぜひお読みください。
それでは、はじまり、はじまり〜。
この前、あなたを迎えに来たあの男。
あれはいったい誰なんですか?
あっ、見られていましたか。
そうですかぁ、やはり気づいていましたか。
うすうすそんな感じがしてたんですよねぇ。
そうです、あの男は私の仲間です。
仲間?!
いったいどういうことですか?
きちんと説明してください。
分かりました。
それでは今日のテーマ『少人数・縦割り保育』について話してくれれば、私もお答えしましょう。
な、なんだって。
よぉし、分かりました。
それでは話しますよ。
少人数保育について
里山保育やまぼうしでは、定員13名程度の年長・中・小混合の縦割り保育をしています。
他の森のようちえんも大半が異年齢の縦割りでしょう。
定員は各園によって幅がありますが、おそらく20人前後だろうと思います。
少人数で良かったと思うことは単純に、子ども同士やスタッフと濃厚な関係が築けるということです。
当たり前すぎるメリットですね。
しかし、いろいろと不安の声もあるようです。
少人数保育への不安
- 大きな集団である小学校へ行った時に大丈夫なのか?
- 少人数だと協調性が育ちにくいと聞いたが本当か?
- 気の合う子がいなかったら、かわいそうじゃないか?
一つずつ見ていきましょう。
大きな集団である小学校へ行った時に大丈夫なのか?
森のようちえんから小学校へあがる時の不安というものは、いろいろな側面があります。
そのひとつである『自由』については自由保育編で書かせてもらいました。
今回は『少人数』というキーワードに絞って話を進めさせてもらいます。
まず、少なからずギャップは受けると思います。
でもそれは、森のようちえんだろうと既存の園だろうと同じではないでしょうか。
校舎・授業・チャイム・先生・大人のように大きい六年生などなど。
今までとは全く違う学校生活に、戸惑わない子の方が少ないはずです。
もしかしたら森のようちえんのように少人数で過ごした子の方が、ある程度の大きさの園に通っていた子よりも、なじむのに時間がかかるかもしれません。
ギャップを大きく受けるかもしれません。
しかし、たとえそうであったとしても、それは統計的に見てそうだと言うだけです。
要するに、森のようちえんに通っていた子でも、すぐになじむ子もいれば、なじめない子もいます。
既存の園に通っていた子でも、小さなギャップを受けるだけの子もいれば、大きなギャップを受ける子もいます。
言葉にすると当たり前ですが、案外忘れがちな視点です。
私もすぐに、森のようちえんだから○○だ、とか既存の園に通っていたから○○だ、などと言ってしまいます。
しかし当然ながら、子ども一人ひとり違うんです。
性格も、受け取り方も、対処の仕方も、好きなこと・嫌いなことも、得意なこと・苦手なことも。
それを所属していた集団に当てはめて、まとめて論じるのはなんて大ざっぱなんだろうと、これを書いていて思いました。
子どもに対して失礼だなと。
つまり学校には、子どもによってギャップの受け取り方やなじみ方には差があるので、一人ひとりの子に合わせて対応してほしいとお願いするのが、この不安に対する答えでしょうか。
答えになってないか?
少人数だと協調性が育ちにくいと聞いたが本当か?
それでは、国別人口第一位の中国の人たちが協調性が高く、人口800人ほどのバチカン市国の人たちが低いとなるでしょうか?
または、各学年1クラス40人で8クラスあるマンモス校の子のほうが、全校生徒10名の離島の学校の子どもたちよりも協調性が高いと言えるでしょうか?
誰もが「そんなことはない。人それぞれで違うだろう」と思うはずです。
これも集団うんぬんではなく個々人で違うということですね。
こうして書くと当たり前なのに、どうしてこんな不安が出てくるのでしょうか。
思うに、先に不安や心配があって、そこから出てくるものではないか。
保護者の方も、実際に自分が森のようちえんに通っていたわけではない。
周りにも通っていた人がいない。
なまの体験談が聞けない。
正体がしれない。
となると、こうした不安や心配が出てくるものなのでしょう。
だから興味のある方はぜひ近隣の森のようちえんへ見学に行ってほしいです。
生き生きとした子どもたちの姿を見れば、こうした不安も多少はなくなるかもしれません。
さて、そもそも協調性とは何でしょうか?
ウィキペディアによると、【異なった環境や立場に存ずる複数の者が、互いに助け合ったり譲り合ったりしながら、同じ目標に向かって任務を遂行する素質】とあります。
これはもう、やまぼうしの子どもたちの日常そのものではないでしょうか。
【異なった環境や立場に存ずる複数の者が】⇒一緒に遊びたいけれど、鬼ごっこがしたい、砂遊びがしたいと意見が割れた子どもたちが、
【互いに助け合ったり譲り合ったりしながら】⇒時には相手の意見を尊重して自分の意見を引っ込めたり、複数で協力して他の子の意見を替えようと努力したりしながら、
【同じ目標に向かって任務を遂行する】⇒一緒に遊ぶという目標に向かって、話し合う。
ほら。
つまりは集団の大小ではなく、子ども同士の関わり方が協調性の育ちに大きく影響を与えると思うのです。
気の合う子がいなかったら、かわいそうじゃないか?
そう思うのは大人だけで、子ども同士で根本的に気の合わない子なんていないと思っています。
確かに人数が多ければ、同じタイプというか、波長が合うというか、すぐに気の合う子と出会って友達になるかもしれません。
しかし少人数だと、そうした子が見つからないかもしれない。
ただ人数が少ないので、必然的に全員と関わることになります。
最初は交わりのなかった子でも、日々をともに過ごすうちに、少しずつ距離が縮まり、気づけば一緒に遊んでいます。
そうした子が一人ひとりと増えていき、いつの間にか全員と遊ぶようになります。
もちろんその中でも仲良しコンビなど関係の濃淡はありますが。
そして、森のようちえんの子どもたちはとことん遊び、とことんケンカします。
体を張って相手のことを知っていきます。
その子が何に怒るのか。
何が好きなのか。
どこまでしたら怒って、どこまでなら許されるのか。
得意なこと、苦手なことは何か。
こういった時は機嫌が悪くて、機嫌がいい時はこんなふう、などなど。
自分の中で、その子の詳細な取扱説明書ができあがっていく感じです。
それほど深く知った子を、友だちと呼ばずになんと呼べるでしょうか。
少人数といえども、そうした友達が数十人いる。
そう見ると、気の合わない子なんていないと思うんです。
もしかしたら、自分とは違うタイプの子とも深く関わっていく小集団のほうが、協調性や多様性を認めるといった点では育ちやすいのかもしれません。
もちろん、見守り保育という前提があっての話ですが。
なるほど。
そう説明してもらえると、不安もなくなりますね。
次は縦割りについて教えてください。
縦割り保育について
縦割り保育をしていて、いいなぁと思える点は、
年齢で区分けしない
そもそも子どもたちは、年齢で区分けしていないと思うんです。
年齢ではなくて、一人ひとりのその子を見ていると思うんです。
つまり、年少彼が年長彼にあこがれるのは、彼が年長だからではなく、彼が走るのが速くて、マッチで火がつけられて、崖を登れて、いろんなことを知っているからなんです。
だから年下でも自分より優れたところを発見すれば、素直に「○○ちゃん、すげぇ」とあこがれるんです。
または、年中さんの身の回りのことを年少さんがお世話する姿も見られます。
これも子どもにとっては、年齢の上下なんて関係なく、ただその子が困っているから、単純にお手伝いしているだけの話なんです。
マネして学んでいく
いつも一緒に遊んでいるから、自然と他の子がすることを見て覚えてマネしています。
または友達から直接教えを受けることもあります。
それはマッチの擦り方であったり、やまぼうしのルールであったり、だるまさんがころんだなどの遊びだったりします。
こうして日々の生活、遊びの中で、やまぼうしの伝統が次の代、次の代へと受け継がれていきます。
年齢別の活動がなくてもいいの?
自由遊びに関しては、年齢によって、というよりも個人によってしたいこと、できることが違うので、自然と年齢別(個人別)活動をしているようなものです。
草木染めや干し柿つくりなどのイベントも、年齢(個人)によって、したいこと・できることが違います。
その子その子の要求に合わせて活動することで、これも自然と年齢別(個人別)の活動になっています。
やまぼうしには、ひとつだけ年齢別の活動があります。
それが年長登山です。
私がそれなりの山に子どもたちと登りたいと思ってはじまった企画です。
それなりの山へ登ろうと思うと、やはり年長さんレベルの体力がいると思うし、そもそも登山というものを楽しめるのも年長さんぐらいかなと思い、年長だけの行事にしました。
やってみて、年長さんだけという時間はとても有意義でした。
いつもは年下の子がいて、強制はしていないまでも、面倒を見てくれたり、我慢したりすることも多い年長さん。
しかしこの時だけは、誰の世話をするでもなく、友達とのおしゃべりや登山を純粋に楽しんでいました。
実際、年長さんにもこの企画は好評です。
しかし基本的には異年齢縦割りがいいです。
年齢別はこうした特別な時間を作ることで十分ではないかなと思っています。
なるほど。
縦割り保育もいいもんですね。
ふと思ったのですが、森のようちえんに向いている子、向いていない子などはあるんですか?
うちの子○○なんですけど、森のようちえんって向いてますか?
いくつかのカテゴリーに分けてお話します。
大人しい・慎重・内気など
森のようちえんと聞くと、自然の中で活発に遊び回る子のイメージが強いのではないでしょうか。
もちろん、そうした姿もありますが、それだけではありません。
カエルを手のひらにのせて、うっとりと見ほれる子もいます。
自然の中で、お絵かきや工作に夢中になる子もいます。
ボーッと川の流れに心奪われる子もいます。
同じ子どもでも、一日のうちに静と動の遊びを使い分けています。
なので、大人しくて慎重で内気な子でも、その子なりの楽しみがきっと見つかるはずです。
また、森のようちえんはこれまで書いてきたような子ども同士の関わり方なので、その子の性格・特徴をそのままで受け入れてくれます。
だから、こういった子のいいところをそのままに、集団の中にも入っていきやすいと思います。
虫が苦手
たいていの子は最初は虫が苦手です。
おそらく虫になじみがないからでしょう。
しかし、最初は怖がっていた子も、何度も何度も出会っていくうちに少しずつ慣れていきます。
慣れてくると、じっと見るようになります。
触るのはまだ怖いけれど、気にはなるといった感じです。
そして、いつの間にか触れるようになっています。
捕まえられるようになっています。
だから最初は虫が苦手でも全然大丈夫です。
女の子
男の子は野外で伸びやかにと思っている人でも、女の子はそうではないという人がいるみたいです。
私は森のようちえん的保育はすべての子どもにとって有意義だと思っています。
それはおそらく、自然の中で遊ぶということが主眼ではなく、見守る保育を主眼にしているからだと思います。
発達障害またはその傾向がある
そうした子こそ、森のようちえんが向いていると思っています。
一概には言えませんが、彼ら彼女らが問題視されるのは、集団で同じことをしようとする時に、違うことをするなどではないかと思うんです。
森のようちえんでは、そもそも設定保育がないに等しいから、そのように問題視されることはほぼありません。
また野外は広いので、存分に自分の中の「動きたい!」という衝動をかなえることもできます。
自由時間ばかりだから、自分のしたいことに没頭できます。
周りの大人も子どもも、そうした姿をそのまま受け入れる雰囲気があります。
療育や特別支援教育の観点から見れば、こうした対応は良くないと言われるかもしれません。
もっと小さい内から集団の中でルールを守れるようにしてあげないといけない。
衝動をコントロールできるようにしないといけないなどの意見があるかもしれません。
しかし私は発達障害やグレーゾーンと言われる子たちにとっても、森のようちえん的保育は有意義だと思っています。
もちろん専門機関との連携は必要だと思っていますが。
また実際に通わしたいとなった時には、その園が受け入れてくれるのか、衝動性がある子の場合には対応できる体制なのか、など具体的な事をきちんと話し合っておいたほうがいいでしょう。
やまぼうしでも他の園に通っていたら何らかのレッテルを貼られていたかもなぁと思う子もいます。
しかし、そうした子も日々を過ごしていく中で、自主的に友達を求め、相手の気持ちもくむ姿も見せてくれて、うまい具合に集団の中に入り込んで遊んでいます。
思ったのは、周りの大人や他の子の視線・態度・関わり方によって、そうした子の行動も大きく変わっていくんだろうなということです。
もしその子が周りと同じ行動ができず大人に注意されてばかりいたら、他の子もそういう目で見るだろうし、その子自身も注意されるストレスから余計に反抗的な態度をとるかもしれません。
そうなると乱暴で反抗的な子というレッテルを貼られて、ますますそういう目で見られるようになります。
逆に森のようちえんでは、ゆったりと肯定的に見守られるので、本来のその子の良さが出てくるのではないかと思っています。
しかし、常にマンツーマンで大人がつかないといけないなどの場合は、人員を置ける経済的余裕がないのでお断りするか、またはその子が通えるような代替案を提案させてもらうかもしれません。
他にもいろいろなが場合があるでしょうが、なるべく通えるようには最大限努力はしたいと考えています。
カーカーカーカー
さぁ、これでどうです?
今度はあなたが話す番ですよ。
話をはぐらかすのは止めてください。
いったい、仲間ってなんですか?
もう気づいていると思うけれど、私は子どもの幼稚園先に悩んでいる、森のようちえんに興味のある専業主婦ではないわ。
正体を見破られたのは何年ぶりかしら?
いいわ、あなたのその真実を見極める目を称賛して、お答えしましょう。
私たちは国際連合直属非公開組織特務機関HOIKの一員なの。
まぁ、ある程度はあなたも予測していたのでしょうけどね。
そう、お察しの通り、私たちは世界各国の子どもと関わる施設の調査・監督を行っている非公開の組織。
いつもは相手方にばれないまま、シークレットで調査を終えるんだけど、今回はそうはいかなかったみたいね。
(ど、どうしよう。話がぶっとびすぎてなんの言葉も出てこないんですけど)
顔色ひとつ変えないってことは、すべてお見通しだったってわけね。
負けたわ。
こうして正体がバレてしまっては、もう調査もできないわね。
まぁ、いいわ。
これまでの調査で里山保育やまぼうしはno problemだったから。
あ、あの。でも私の話だけで実際の保育をみないことには・・・
私たちを誰だと思っているの?
すでに実際の保育も調査済よ。
それじゃあ、もう会うこともないと思うけど。
これからもいい保育を続けてね。
チャオ!
あっ、ちょっと待っ・・・
あぁ、風のように立ち去っていってしまった・・・
HOIK・・・たえ子さん・・・
だめだ、理解と感情が追いつかないよぉ。
本日のおさらい
本日のおさらい
- 小学校入学のギャップも協調性の育ちも、少人数うんぬんではなく個々人で違う。
- 子ども同士、根本的に気の合わない子なんていない。
- 子どもたちは年齢ではなく、その子個人を見ている。
- 森のようちえんはすべての子にとって有意義。
森のようちえんを徹底解説
森のようちえん園長が教える!vol.5 少人数保育?縦割り保育?
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もくじ
「少人数だと協調性が育ちにくいってほんとう?」
「少人数で、気の合う子がいなかったらかわいそうじゃない?」
「縦割り保育だと、年齢別の活動がないけど大丈夫なの?」
どうも、里山保育やまぼうし園長のたける父ちゃんです。
今回のテーマは『少人数・縦割り保育』です。
少人数というのにも不安を感じる方は多くいらっしゃるみたいです。
最後におまけで、いろいろなタイプの子(おとなしい・虫がきらい・女の子などなど)が森のようちえんに合うのかどうかも書いてみましたので、ぜひお読みください。
それでは、はじまり、はじまり〜。
真面目な顔しちゃって。
あれはいったい誰なんですか?
そうですかぁ、やはり気づいていましたか。
うすうすそんな感じがしてたんですよねぇ。
そうです、あの男は私の仲間です。
いったいどういうことですか?
きちんと説明してください。
それでは今日のテーマ『少人数・縦割り保育』について話してくれれば、私もお答えしましょう。
よぉし、分かりました。
それでは話しますよ。
少人数保育について
里山保育やまぼうしでは、定員13名程度の年長・中・小混合の縦割り保育をしています。
他の森のようちえんも大半が異年齢の縦割りでしょう。
定員は各園によって幅がありますが、おそらく20人前後だろうと思います。
少人数で良かったと思うことは単純に、子ども同士やスタッフと濃厚な関係が築けるということです。
当たり前すぎるメリットですね。
しかし、いろいろと不安の声もあるようです。
少人数保育への不安
一つずつ見ていきましょう。
大きな集団である小学校へ行った時に大丈夫なのか?
森のようちえんから小学校へあがる時の不安というものは、いろいろな側面があります。
そのひとつである『自由』については自由保育編で書かせてもらいました。
今回は『少人数』というキーワードに絞って話を進めさせてもらいます。
まず、少なからずギャップは受けると思います。
でもそれは、森のようちえんだろうと既存の園だろうと同じではないでしょうか。
校舎・授業・チャイム・先生・大人のように大きい六年生などなど。
今までとは全く違う学校生活に、戸惑わない子の方が少ないはずです。
もしかしたら森のようちえんのように少人数で過ごした子の方が、ある程度の大きさの園に通っていた子よりも、なじむのに時間がかかるかもしれません。
ギャップを大きく受けるかもしれません。
しかし、たとえそうであったとしても、それは統計的に見てそうだと言うだけです。
要するに、森のようちえんに通っていた子でも、すぐになじむ子もいれば、なじめない子もいます。
既存の園に通っていた子でも、小さなギャップを受けるだけの子もいれば、大きなギャップを受ける子もいます。
言葉にすると当たり前ですが、案外忘れがちな視点です。
私もすぐに、森のようちえんだから○○だ、とか既存の園に通っていたから○○だ、などと言ってしまいます。
しかし当然ながら、子ども一人ひとり違うんです。
性格も、受け取り方も、対処の仕方も、好きなこと・嫌いなことも、得意なこと・苦手なことも。
それを所属していた集団に当てはめて、まとめて論じるのはなんて大ざっぱなんだろうと、これを書いていて思いました。
子どもに対して失礼だなと。
つまり学校には、子どもによってギャップの受け取り方やなじみ方には差があるので、一人ひとりの子に合わせて対応してほしいとお願いするのが、この不安に対する答えでしょうか。
答えになってないか?
少人数だと協調性が育ちにくいと聞いたが本当か?
それでは、国別人口第一位の中国の人たちが協調性が高く、人口800人ほどのバチカン市国の人たちが低いとなるでしょうか?
または、各学年1クラス40人で8クラスあるマンモス校の子のほうが、全校生徒10名の離島の学校の子どもたちよりも協調性が高いと言えるでしょうか?
誰もが「そんなことはない。人それぞれで違うだろう」と思うはずです。
これも集団うんぬんではなく個々人で違うということですね。
こうして書くと当たり前なのに、どうしてこんな不安が出てくるのでしょうか。
思うに、先に不安や心配があって、そこから出てくるものではないか。
保護者の方も、実際に自分が森のようちえんに通っていたわけではない。
周りにも通っていた人がいない。
なまの体験談が聞けない。
正体がしれない。
となると、こうした不安や心配が出てくるものなのでしょう。
だから興味のある方はぜひ近隣の森のようちえんへ見学に行ってほしいです。
生き生きとした子どもたちの姿を見れば、こうした不安も多少はなくなるかもしれません。
さて、そもそも協調性とは何でしょうか?
ウィキペディアによると、【異なった環境や立場に存ずる複数の者が、互いに助け合ったり譲り合ったりしながら、同じ目標に向かって任務を遂行する素質】とあります。
これはもう、やまぼうしの子どもたちの日常そのものではないでしょうか。
【異なった環境や立場に存ずる複数の者が】⇒一緒に遊びたいけれど、鬼ごっこがしたい、砂遊びがしたいと意見が割れた子どもたちが、
【互いに助け合ったり譲り合ったりしながら】⇒時には相手の意見を尊重して自分の意見を引っ込めたり、複数で協力して他の子の意見を替えようと努力したりしながら、
【同じ目標に向かって任務を遂行する】⇒一緒に遊ぶという目標に向かって、話し合う。
ほら。
つまりは集団の大小ではなく、子ども同士の関わり方が協調性の育ちに大きく影響を与えると思うのです。
気の合う子がいなかったら、かわいそうじゃないか?
そう思うのは大人だけで、子ども同士で根本的に気の合わない子なんていないと思っています。
確かに人数が多ければ、同じタイプというか、波長が合うというか、すぐに気の合う子と出会って友達になるかもしれません。
しかし少人数だと、そうした子が見つからないかもしれない。
ただ人数が少ないので、必然的に全員と関わることになります。
最初は交わりのなかった子でも、日々をともに過ごすうちに、少しずつ距離が縮まり、気づけば一緒に遊んでいます。
そうした子が一人ひとりと増えていき、いつの間にか全員と遊ぶようになります。
もちろんその中でも仲良しコンビなど関係の濃淡はありますが。
そして、森のようちえんの子どもたちはとことん遊び、とことんケンカします。
体を張って相手のことを知っていきます。
その子が何に怒るのか。
何が好きなのか。
どこまでしたら怒って、どこまでなら許されるのか。
得意なこと、苦手なことは何か。
こういった時は機嫌が悪くて、機嫌がいい時はこんなふう、などなど。
自分の中で、その子の詳細な取扱説明書ができあがっていく感じです。
それほど深く知った子を、友だちと呼ばずになんと呼べるでしょうか。
少人数といえども、そうした友達が数十人いる。
そう見ると、気の合わない子なんていないと思うんです。
もしかしたら、自分とは違うタイプの子とも深く関わっていく小集団のほうが、協調性や多様性を認めるといった点では育ちやすいのかもしれません。
もちろん、見守り保育という前提があっての話ですが。
そう説明してもらえると、不安もなくなりますね。
次は縦割りについて教えてください。
縦割り保育について
縦割り保育をしていて、いいなぁと思える点は、
縦割り保育をしていいなぁと思う点
年齢で区分けしない
そもそも子どもたちは、年齢で区分けしていないと思うんです。
年齢ではなくて、一人ひとりのその子を見ていると思うんです。
つまり、年少彼が年長彼にあこがれるのは、彼が年長だからではなく、彼が走るのが速くて、マッチで火がつけられて、崖を登れて、いろんなことを知っているからなんです。
だから年下でも自分より優れたところを発見すれば、素直に「○○ちゃん、すげぇ」とあこがれるんです。
または、年中さんの身の回りのことを年少さんがお世話する姿も見られます。
これも子どもにとっては、年齢の上下なんて関係なく、ただその子が困っているから、単純にお手伝いしているだけの話なんです。
マネして学んでいく
いつも一緒に遊んでいるから、自然と他の子がすることを見て覚えてマネしています。
または友達から直接教えを受けることもあります。
それはマッチの擦り方であったり、やまぼうしのルールであったり、だるまさんがころんだなどの遊びだったりします。
こうして日々の生活、遊びの中で、やまぼうしの伝統が次の代、次の代へと受け継がれていきます。
年齢別の活動がなくてもいいの?
自由遊びに関しては、年齢によって、というよりも個人によってしたいこと、できることが違うので、自然と年齢別(個人別)活動をしているようなものです。
草木染めや干し柿つくりなどのイベントも、年齢(個人)によって、したいこと・できることが違います。
その子その子の要求に合わせて活動することで、これも自然と年齢別(個人別)の活動になっています。
やまぼうしには、ひとつだけ年齢別の活動があります。
それが年長登山です。
私がそれなりの山に子どもたちと登りたいと思ってはじまった企画です。
それなりの山へ登ろうと思うと、やはり年長さんレベルの体力がいると思うし、そもそも登山というものを楽しめるのも年長さんぐらいかなと思い、年長だけの行事にしました。
やってみて、年長さんだけという時間はとても有意義でした。
いつもは年下の子がいて、強制はしていないまでも、面倒を見てくれたり、我慢したりすることも多い年長さん。
しかしこの時だけは、誰の世話をするでもなく、友達とのおしゃべりや登山を純粋に楽しんでいました。
実際、年長さんにもこの企画は好評です。
しかし基本的には異年齢縦割りがいいです。
年齢別はこうした特別な時間を作ることで十分ではないかなと思っています。
縦割り保育もいいもんですね。
ふと思ったのですが、森のようちえんに向いている子、向いていない子などはあるんですか?
うちの子○○なんですけど、森のようちえんって向いてますか?
いくつかのカテゴリーに分けてお話します。
大人しい・慎重・内気など
森のようちえんと聞くと、自然の中で活発に遊び回る子のイメージが強いのではないでしょうか。
もちろん、そうした姿もありますが、それだけではありません。
カエルを手のひらにのせて、うっとりと見ほれる子もいます。
自然の中で、お絵かきや工作に夢中になる子もいます。
ボーッと川の流れに心奪われる子もいます。
同じ子どもでも、一日のうちに静と動の遊びを使い分けています。
なので、大人しくて慎重で内気な子でも、その子なりの楽しみがきっと見つかるはずです。
また、森のようちえんはこれまで書いてきたような子ども同士の関わり方なので、その子の性格・特徴をそのままで受け入れてくれます。
だから、こういった子のいいところをそのままに、集団の中にも入っていきやすいと思います。
虫が苦手
たいていの子は最初は虫が苦手です。
おそらく虫になじみがないからでしょう。
しかし、最初は怖がっていた子も、何度も何度も出会っていくうちに少しずつ慣れていきます。
慣れてくると、じっと見るようになります。
触るのはまだ怖いけれど、気にはなるといった感じです。
そして、いつの間にか触れるようになっています。
捕まえられるようになっています。
だから最初は虫が苦手でも全然大丈夫です。
女の子
男の子は野外で伸びやかにと思っている人でも、女の子はそうではないという人がいるみたいです。
私は森のようちえん的保育はすべての子どもにとって有意義だと思っています。
それはおそらく、自然の中で遊ぶということが主眼ではなく、見守る保育を主眼にしているからだと思います。
発達障害またはその傾向がある
そうした子こそ、森のようちえんが向いていると思っています。
一概には言えませんが、彼ら彼女らが問題視されるのは、集団で同じことをしようとする時に、違うことをするなどではないかと思うんです。
森のようちえんでは、そもそも設定保育がないに等しいから、そのように問題視されることはほぼありません。
また野外は広いので、存分に自分の中の「動きたい!」という衝動をかなえることもできます。
自由時間ばかりだから、自分のしたいことに没頭できます。
周りの大人も子どもも、そうした姿をそのまま受け入れる雰囲気があります。
療育や特別支援教育の観点から見れば、こうした対応は良くないと言われるかもしれません。
もっと小さい内から集団の中でルールを守れるようにしてあげないといけない。
衝動をコントロールできるようにしないといけないなどの意見があるかもしれません。
しかし私は発達障害やグレーゾーンと言われる子たちにとっても、森のようちえん的保育は有意義だと思っています。
もちろん専門機関との連携は必要だと思っていますが。
また実際に通わしたいとなった時には、その園が受け入れてくれるのか、衝動性がある子の場合には対応できる体制なのか、など具体的な事をきちんと話し合っておいたほうがいいでしょう。
やまぼうしでも他の園に通っていたら何らかのレッテルを貼られていたかもなぁと思う子もいます。
しかし、そうした子も日々を過ごしていく中で、自主的に友達を求め、相手の気持ちもくむ姿も見せてくれて、うまい具合に集団の中に入り込んで遊んでいます。
思ったのは、周りの大人や他の子の視線・態度・関わり方によって、そうした子の行動も大きく変わっていくんだろうなということです。
もしその子が周りと同じ行動ができず大人に注意されてばかりいたら、他の子もそういう目で見るだろうし、その子自身も注意されるストレスから余計に反抗的な態度をとるかもしれません。
そうなると乱暴で反抗的な子というレッテルを貼られて、ますますそういう目で見られるようになります。
逆に森のようちえんでは、ゆったりと肯定的に見守られるので、本来のその子の良さが出てくるのではないかと思っています。
しかし、常にマンツーマンで大人がつかないといけないなどの場合は、人員を置ける経済的余裕がないのでお断りするか、またはその子が通えるような代替案を提案させてもらうかもしれません。
他にもいろいろなが場合があるでしょうが、なるべく通えるようには最大限努力はしたいと考えています。
カーカーカーカー
今度はあなたが話す番ですよ。
いったい、仲間ってなんですか?
いいわ、あなたのその真実を見極める目を称賛して、お答えしましょう。
私たちは国際連合直属非公開組織特務機関HOIKの一員なの。
そう、お察しの通り、私たちは世界各国の子どもと関わる施設の調査・監督を行っている非公開の組織。
いつもは相手方にばれないまま、シークレットで調査を終えるんだけど、今回はそうはいかなかったみたいね。
負けたわ。
こうして正体がバレてしまっては、もう調査もできないわね。
まぁ、いいわ。
これまでの調査で里山保育やまぼうしはno problemだったから。
すでに実際の保育も調査済よ。
これからもいい保育を続けてね。
チャオ!
あぁ、風のように立ち去っていってしまった・・・
HOIK・・・たえ子さん・・・
だめだ、理解と感情が追いつかないよぉ。
本日のおさらい
本日のおさらい
次回予告
国連直属非公開特務機関HOIK。
まさかの展開にとまどうたける。
本当にもう、たえ子には会えないのだろうか。
たけるの中で、失意と困惑が交差する。
次回、最終話『届かない、メール』
この次もサービス、サービス!
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-森のようちえんを徹底解説