森のようちえんを徹底解説

森のようちえん園長が教える!vol.4 自由保育?小学校で困らない?

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「自由にしてて、わがままな子にならない?」

「工作や歌ったりはしないの?」

「好きなことだけしていたら、小学校へ行った時に困るんじゃない?」

 

どうも、里山保育やまぼうし園長のたける父ちゃんです。

今回のテーマは『自由保育』

ここに不安を覚える方も多いのではないでしょうか。

そんな不安を少しでも解消できればと思います。

それでは、はじまり、はじまり〜。

草原を走る車

今日はたえ子さんに会える日♪

ランランララーン♪

さぁ、もうすぐ着くぞぉ。

あれ?

山のイラスト

おはようございます。

おはようございます。

今日は随分と早いんですね。

そうなんです。

あのぉ、今日もひとりで・・・

いいんです、いいんです。

門口さんが気のすむまで、お一人で来てもらって大丈夫ですから。

そう言ってもらえると助かります。

本当にありがとうございます。

いえいえ、実は私も楽しんでいますから。

今日もコーヒー持ってきましたので、セッティング手伝ってもらえますか?

はい!

山でコーヒー

それじゃあ、早速お話しましょう。

今日は自由保育についてでしたね。

はい、よろしくお願いします。

自由保育とは

自由保育は、設定保育と対をなす言葉です。

それぞれの定義を見てみましょう。

設定保育とは

歌やお絵かきの時間など、することが決まっていて、全員で同じ活動をする。

自由保育とは

特段することが決まっておらず、子どもは自分の好きなことができる。

そのまんまですね。

やまぼうしでは、一日のうち大半が自由保育です。

もう99%です。

ではなぜ自由保育をしているのか。

それは、子どもたちが生き生きしているように思うからです。

これは、見守る保育をしている理由と同じですね。

詳細は見守る保育編を見てもらうとして、ここではなぜ子どもたちが生き生きしているように思うのかだけを再掲しときます。

子どもが生き生きする理由

  • 自分のちからでやりとげたと本人が感じるから
  • 感情を出し切るから
  • 自分で決めるから

以上の三点でしたね。

つまり自由保育は、見守る保育を実践するための土台なんです。

子どもたちが何をするのか自分で決め、感情を丸出しにして、自分で満足の基準を定めながら、自由に遊ぶ姿がある。

そして、それを見守る保育者がいるのです。

子どもたちの姿

自由に遊ぶというのは、慣れていない子にとってはけっこう難しいものなんです。

最初のうちは、何をしたらいいのか分からず、立ち尽くしている子もいます。

しかし、しばらく見守っていると、そうした子どもたちも何かしらの遊びをはじめます。

誰かのマネをしてみたり、走り出したり、虫に興味を示したり。

そうやって次第に遊ぶようになっていきます。

自由に慣れた子どもたちは、それこそ好き勝手に遊びます。

しかも大人の目から見れば何もないように思える場所でも、枝や石、木の実、草などを使って、さまざまな遊びを創造します。

その発想力には、いつも関心させられます。

最低限のルール

基本的に何をするのも自由ですが、やまぼうしではルールが3つだけあります。

3つのルール

  • 保育者が見えないところへは行かない
  • 保育者が行ってはダメと言ったところへは行かない
  • スズメバチやマムシなど危険生物の対策をする(野外保育編参照)

どれも安全管理からの禁止事項です。

安全に活動するための最低限のルールなので、これが守られないと注意します

なぜなら身に危険がおよぶからです。

これ以外はとやかく言わないので、子どもたちも注意されると真剣に聞いてくれることが多いです。

設定保育はないの?

やまぼうしでは、ごはんつくり、草木染め、秋祭りの劇、柿取り、タケノコ掘りなどのイベントがあります

しかし、どれも基本的にやりたい子がするというスタイルです。

やらない子を誘ってはみますが、無理強いはしません。

参加するかしないかの判断は子ども自身にまかせます。

恐竜の劇

工作は、保育者がリュックに工作セットを持ち歩いているので、好きな時にお絵かきをしたり、落ち葉や木の実などで工作したりしています。

歌も、歌の時間というものはありませんが、散歩しながら歌ったりしています。

また毎日、おはよの会またねの会をしています。

これには全員参加してもらっています。

していることは、

おはよの会ですること

  • 短い絵本を読む
  • 朝のあいさつ
  • 欠席者や今日の行き先などを短く話す

またねの会ですること

  • さよならのあいさつ

これだけです。

これぐらいなら、今のところみんな参加できています。

学校に行った時に困らないか?

そんなに自由に遊んでいたら、小学校へ行った時に困るんじゃないかって、ご近所さんに言われたことがあって・・・
よく聞く言葉ですね。

分かりました、お答えしましょう。

自由に遊んでいたら学校で困ると思うわけ

その批判は、自由の解釈のズレにあると思われます。

学校へ行って、いったい何に困ると思うのでしょうか。

おそらく自分の好きなこと、やりたいことだけをしてきたから、学校でのやりたくないこと(席に座る、勉強をするなど)ができないのではないかということではないでしょうか。

たとえば、すごい金持ちで、何でも言うことを聞く執事が常時5人いる年長女子がいるとします。

「お菓子」と言えば執事がさっと出し、自分の足では歩かずにいつも抱っこされ、欲しい物はなんでも手に入る、自分の思い通りにできる自由です。

そんな子が小学校にあがれば、学校でのやりたいくないことには我慢できず、学校生活で困ることは目に見えています。

自由だが他者がいる世界

では森のようちえんの自由はどうでしょうか。

自分のしたいこと、好きなことをとことん遊びこむ自由はあります。

しかし、周りには同年代の子どもたちがいます。

子どもが集まれば、そこに社会が生まれます。

一人ひとりが自分の意見を主張しあいます。

行きたい場所が違うこともあるでしょう。

一緒に遊びたいけれど、遊ぶ内容が一致しないこともあるでしょう。

基本的に大人は割って入らないので、そうしたことを話し合って自分たちで解決しなければなりません。

子どもたちはそこで他人との付き合い方を体を張って学んでいます。見守る保育編を参照)

時には、自分の意見を曲げなければならない時もあるでしょう。

しかし、それは自分で決めたこと。

だからまだ我慢できるし、納得もできないことはない。

(反動で違うところで木や石に八つ当たりしてたり、我慢したイライラが違う時にケンカの火種になったりはしますが)

子ども集会

森のようちえんに通っている子は、だから好き勝手に自分の思い通りに遊べるわけではないのです。

そういう意味では、集団生活をしています。

しかも自発的な集団です。

そうした子たちが小学校へ行ってやりたくないことに直面しても、わがままに振る舞うということはないと思うのです。

ただ、するかしないかは自分で判断すると思うので、しないという判断をする可能性は十分にあります

が、それはまた別の話です。

不登校について

なるほど。

そうお話してもらえると、安心しました。

でも別の話っていうのは?

はい、お話しましょう。

自分で考え行動してきた子どもたちは、それが自分にとって必要かどうか、やるべきかどうか、などを自分で判断するようになるでしょう。

我慢しないわけではないけれど、本当に嫌なら、やらないと判断します。

それが重なると、学校へは行かないと決める子も出てくるはずです。

世間ではそれを不登校と言います

小学生と遊んで気づいたこと

では、小学生は何がいやなのか。

里山保育やまぼうしでは、今のところ、小学校の代わりとなるような事業はしていません。

小学生対象でしているのは、にちようの森(以下、にち森)です。

月に1,2回、日曜日に集まって、ただただ遊んでいます。

(詳しくは活動日誌を参照)

彼ら彼女らと遊ぶ中で、気づいたことがあります。

それは、決められることを嫌がるのです。

普段の活動は、まず竹林で鬼ごっこ。

昼頃にやまぼうしの家に移動して夏なら水遊び、冬ならたき火などが定番化しています。

一度、こちらがクリスマス会を企画して、バウムクーヘンつくりをしてみました。

しかし、子どもたちはちょこちょこっとやると、あとは鬼ごっこ。

他にもキャンプ場でBBQをしてみても、子どもたちがすることは結局鬼ごっこ。

とにかくもう鬼ごっこがしたいようです

鬼ごっこ

ではなぜ、そんなにも鬼ごっこがしたいのか。

鬼ごっこは、子どもたちが自分たちで決めた遊びです。

一方、バウムクーヘンつくりもBBQもこちら発信の企画です。

つまり、にち森に来ている子どもたちは、何にも強制されたくないみたいなのです。

ただひたすらに、自分たちがしたいことを、したい時に、思う存分したいようです。

もしかしたら今の小学生には、そうした場所がないのかもしれません。

無邪気な小学生

にち森には、高学年女子がたくさんいます

彼女らを見ていると、こんなにも無邪気なものなのか、と自分の固定観念がくつがえされます。

奈良公園へ遠足に行った時です。

高学年女子が、シカのフンを素手で拾って投げてきました。

大笑いしながら。

私も拾って投げ返しました。

それを見て、周りのみんなも大笑いです

その子に「学校でもそんなことするの?」と聞くと、「するわけないやん」と。

なぜ?とは問い返しませんでしたが、彼女の言い方から、学校でシカのフンを素手で投げるという選択肢は最初からないようでした。

鹿の糞

また、やまぼうしの家で、高学年女子たちが、土を掘って、水を流して、川を作っていました。

それぞれが、支流を作って、自分の名前をつけて、喜んでいました。

ある子が、「学校で泥遊びしたら引かれるねん」と話してくれました。

泥遊びがしたいけれど、学校では他の子から変な目で見られるからできないそうです。

彼女らの姿を見ていると、にち森は、周りの目を気にせず、好きなことを思う存分していい場所だと認識してくれていることが分かります。

そして、そうした場だと、高学年女子も、無邪気に、童心に戻って、安心して遊べるんだろうなと思いました。

泥遊び

学校ではかなえられない

やりたいことをとことんやりこんで、無邪気に遊ぶ。

そんなことは、学校ではかなえられないようです。

学校はそういう場所ではない、と言われればそれまでです。

そんなことでは勉強ができないし、収集がつかなくなる

そう言われれば、小学校で働いたことのない私は、何も言えません。

実際、今の小学校でそんなことをしたら、そのとおりになるんだろうと思います。

しかし、現役の小学生たちが実際にそうしたことを求めているのも事実です。

にち森の子どもたちは、みんな普通に学校に通っている子たちです。

そして、大半の子が、森のようちえん的な幼児期を過ごしてきたわけではありません。

それでも、これだけの欲求が湧き出ています。

これが、森のようちえん的自由を満喫してきた子なら、その反動はかなり大きいものだと予想できます。

森のしょうがっこう

そうした中、森のようちえん界でも小学校が少しずつ増えてきています。

各学校によって違いはありますが、基本は森のようちえんで大切にしていることを継承する形となっています。

やりたいことを自分で決め、とことんやり込む。

中には、勉強(算数・国語・理科・社会など)は一切しないところもあります。

勉強の時間があるところでも、するしないは子どもたちが決めます。

勉強しなくて大丈夫なの?!と心配になる方は多いでしょう。

そんな方は一度、こちらの2つの記事を読んでみてください。

さつきやま森の学び舎園長・木村太郎さんのブログ『基礎学力の基準はなんですか?』

TOEC自由な学校・自由な学校の学び

どちらも長年、小学校をされている団体です。

賛否両論あるでしょうが、こうした小学校が長年存続できているということは事実です。

そして、こうした小学校ならば、上記の小学生たちの欲求も満たしてくれることは請け合いです。

既存の園・学校を批判したいわけではない

なるほど。

それじゃあたける父ちゃんは、既存の園や学校には否定的なんですね。

いえ、違います!

そこは声を大にして言いたいです。

私は、決して既存の園・学校を否定したいわけではありません。

なぜかと言うと、否定・批判からは敵対しか生まれないからです。

詳しく説明しましょう。

批判から生まれるもの

たとえば、他の園の人が、「そのやり方は間違っている、このやり方がいいんだ」と言ってくれば、私は必ず反発するでしょう。

一方、他の園の人が、「面白い保育していますね。ぜひ参考にさせてください」とくれば、「どうぞどうぞ」となって、私も相手の園のことを知りたいと思うでしょう。

相手が批判・否定でくれば、こちらもケンカ腰になるのが当然です。

逆に、相手が肯定的に来てくれれば、こちらも受け入れ体制となります。

つまり、批判・否定からは敵対しか生まれないのです。

では、なぜ敵対したくないのか?

答えは簡単です。

同業者だからです。

同じ子どもと関わる仕事をする者同士、敵対する必要など、どこにもありません。

タライに入る子ども

とは言っても、森のようちえんと既存の園では保育内容にかなり違いがあるではないか、と言われる方がいるかもしれません。

確かに、違いはあります。

しかし違いがあるという事と、それを否定するという事は別物です。

どれかひとつしか選択できないという時に、対立が生まれます。

どれもが共存できるならば、戦う必要はありません。

私は、既存の園も森のようちえんも、それぞれ立場が違うし、世間から求められるものも違うと思っています。

なので、共存できるのです。

主要となる既存の園・学校

まず私の言う既存の園・学校の定義をお伝えしましょう。

既存の園・学校とは

学校教育法や児童福祉法を法的根拠とする園や学校。

分かりやすく言えば、公立私立の認可園や学校のこと。

つまりは、日本の大半を占める幼稚園・保育園・こども園・学校のこと。

続きまして、特徴を見てみましょう。

当然ですが、既存の園・学校は、その地域の主要となる保育・教育施設です。

地域にはたくさんの子どもたちがいます。

家族構成、経済状況、価値観など家庭環境がそれぞれに違います

そして、どういった家庭環境であれ、子どもたちの保育・教育は保障されなければいけません。(日本国憲法26条『教育を受ける権利・教育を受けさせる義務』

既存の園・学校はそのための施設だと思うのです。

特に公立はその性質が大きいでしょう。

いわば、保育・教育のセーフティネットです。

また組織としては大きく、法的な縛りも多くあります。

組織が大きいと身軽に動けません

また法的な縛りが多くあると、思い切った改革も難しいでしょう。

こういったことから、保守的になりがちなのも納得できます。

また逆に、頻繁に改革が起こると、人々は不安に思うかもしれません。

少数派のオルタナティブ教育

突然、謎の言葉が出てきて混乱されたかもしれません。

説明しましょう。

オルタナティブ教育とは

日本語で代替教育。

主流・伝統的な教育とは異なる教授・学習方法を意味する。

日本では、学校教育法などの法的根拠を有さない非正規の教育機関とそこで実施される教育を意味する。

その中でも特に、

幼児教育および学校教育における新しい教育思想(モンテッソーリ教育、シュタイナー教育、デモクラティック・スクールなど)

不登校児童生徒の救済のためのフリースクール、サポート校、ホームスクーリングなど

の上記2種類を示すことが多い。

森の小学校も、ここに当てはまります。

これらの施設は、それぞれが個性的な保育・教育方針を持っています。

そして、その方針に賛同した家庭が入園・入学します。

組織としては、既存の園・学校に比べると小さいです。

その分、フットワークは軽く、進歩的・実験的なことも行いやすいでしょう。

立場の違い

こうした立場の違いを考慮すれば、それぞれを批判する言葉は無意味だと知れます。

たとえば、既存の園・学校は先生主導で子どもが受動的だと言われがちです。

しかし、法的な決まりで、年長組だと子ども30人に対して保育士1人の基準です。

そんな状況で、森のようちえん的保育をすればどうなるか。

ハチに刺された、マムシにかまれた、崖から落ちた、迷子になったの事故・ケガ続出は請け合いです。

ちなみに、やまぼうしでは年少・中。長の縦割り保育ですが、だいたい子ども8〜10人にスタッフ3人の割合です。

このように保育士1人で子ども30人を見ようと思えば、現行のやり方でなければ、まとまらないのも事実です。

そして、そうした状況の中でも、子どもの意思を尊重して、自主性を大切にしている保育士・先生方はたくさんいるはずです。

お互いの立場を念頭に置けば、こうした批判は的外れで、敵対しか生まないことが分かります。

私の立場

そうは言っても、私は森のようちえん的保育がいいと思っているし、小学校も森の小学校みたいなのが面白くていいなと思っています。

しかし、それは私がそう思うというだけの話です。

自分がいいと思う保育・教育が正しくて、他の保育・教育は間違っていると思うのは、間違っています。

しかし自身を振り返ってみると、その間違いをしがちなんですね。

既存の園・学校だろうと、森のようちえん・小学校だろうと、モンテッソーリ教育、シュタイナー教育だろうと、それぞれの家庭が自由に選べばいいんです。

それぞれの施設を必要とする家庭がそれぞれにいるのですから、お互いを批判・否定せずに、ただ自分たちの保育・教育に精進するべきだと、自戒をこめて、ここに書き記しておきます。

夕方

カーカーカーカー

またこんな時間ですね。

今日もありがとうございました。

それでは、また。

は、はい。

またこん・・・ど

なんだか、えらく急いで行っちゃったなぁ。

何か用事でもあるのかな?

緑の車

あれ?こんなところに車なんて珍しい。

ん?たえ子さんのほうへ行くなぁ。

ムム!たえ子さんの横で止まったぁ?!
ナナナッ!たえ子さんが助手席に乗ったぁ!!!

緑の車2

あああ、帰っていく〜。

いったいどこのどいつだ、たえ子さんを載せて行ったやつはぁ・・・

見逃しはせぬぞ!

スゥ〜、フー

 

 

 

 

眼力たける

クワッ!

み、見えた・・・

男だ・・・

30代前半から半ばぐらい・・・

あいつはいったい・・・いったい誰なんだぁぁああああっ!

本日のおさらい

本日のおさらい

  • 自由保育は見守り保育の土台。
  • 小学校に行っても、わがままに振る舞うことはないはず。
  • 小学生は、自分で決めて、とことんやりこむことを求めている。
  • 批判からは、敵対しか生まれない。

 

次回予告

くっそぉ、いったいあいつは誰なんだ!

たえ子さんを助手席に乗せるなんて。

彼氏?

いやいや、そんなはずはない。

なぜなら、たえ子さんは私のことを・・・

いや、本当にそうなのか?

まさか、私のかんちが・・・

いやいやいや、そんなはずはない。

くっそぉおお、あいつはいったい誰なんだぁあああ!

次回、『いやいや、誰がどう考えても配偶者でしょ』森のようちえん園長が教える!vol.5 少人数・縦割り保育編

だてにあの世は見てねぇぜ!

 

 

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