本日は久しぶりに農道散歩へ行ってきました。
いつものように神社へお参り。
母と別れがたしの子たちは、母にもついてきてもらって。
参拝終わって、歩きだしたら、別れがたしっ子たち、いつのまにか母とすんなり別れて、意気揚々と歩き出す。
その姿を見るといつも、どのタイミングで子どもたちは母と別れていいとなったのだろう、と不思議に思います。
見ていても、それが分からなくて、いつもスンッと別れている、ように見える。
もしかしたら、母がいろんな工夫をして、我が子の気持ちを切り替えられるように、静かに見えて、すごい頑張ってくれているのかもしれない。
そのおかげなのかもしれない。
見ていると、それぞれの親子にしか分からない、それぞれの関わり方があるなあと思います。
私はばっさりと切り捨てがちなのですが、丁寧に子どもとか変わっている親の姿を見ると、ああすごいなあ、丁寧だなあ、と尊敬します。
かといって、私の関わり方が悪いとも思っていませんが(;´∀`)
まあ、親子の数だけ、関わり方があるということでしょうか。(なんじゃそりゃ)
雨上がりの農道散歩は特有のうつくしさがあります。
ねこじゃらしの一本一本についた水滴。
増水して道に溢れ出る雨水。
全体的にしっとりと濡れた感じ。
そうした農道を、子どもたちはゆっくり、のんびりと歩きます。
存分に道草をくいながら。
お花を摘み、ツルをひっぱり、蝶々を見て、つぶれたカエルを観察し、道路にでてきた巨大なミミズが死んでいるのか寝ているのか議論して、水たまりにはいり。
子どもたちはいくらでも楽しみを見つけてきます。
それはすごい才能です。
大人の足で十五分もかからない道のりを、1時間以上かけて歩いてきました。
これだけ楽しみを自ら見つけられる子どもたちは、これからどんなことがあっても楽しめるんじゃないかと思うほどです。やまぼうしに家につくころには、もうお腹はぺこぺこ(私が)。
まずは腹ごしらえをしてから、遊びだします。
たっぷり歩いてきたからか、今度は静の遊び。
縁側で絵を描いたり、折り紙したりして、ゆっくりと遊びます。
散歩中、ちょっと肌寒かったので、焚き火(すきあらば焚き火をしようとする私)。
あとで焚き火すると訊いて、ウインナーとさつまいもを残していた彼が、意気揚々と近づいてきて、おかずを焼いていく。
自分で焼いて、食べる。
個人的にはもっと焼いたほうがおいしいと思うけれど、彼は少し炙る程度ですぐに食べちゃう。
でも、食べると、「味が変わった」「めちゃくちゃおいしい」ととっても満足そう。
自己満足が大事です。
自己満足でいいと思うんです。
自己満足がいいと思うんです。
こちらではセイタカアワダチソウの足湯。
セイタカアワダチソウ、ご存知ですか?
どこにでも生えている(たぶん都会の道路とかの畔にも生えているんじゃないかな)背の高い小さな黄色い花をたくさん咲かせる植物です。
乾燥させて、煮出して、お湯にいれて、足でばしゃばしゃしたら、その名のとおり、泡が立つ。
いい香りもして、肌にもいいらしい。
お風呂にいれても楽しそう。
ぜひお試しあれ。最終的には足でおさまらず、腰まで入り、さらには全身浸かるのは、やまぼうしあるある。