本日はやまぼうしの家でつぼみちゃんと合同保育でした。
今年はコンパネ買ってきて、杭打って、本格的なプールを作ってみようと思っていたけれど、にち森からはじまった穴掘りブルーシートプールがいい感じで、今年はこれでいこうと決めました。
穴も深くなって、十分に楽しめる。
泥水はまあ、泥水だけど、ぜんぜん問題なし。
泥プールに入るやまぼうしさんたちを見て、つぼみちゃんたちも入ってくる。
この時は入らなかった子も、みんなが出たあとに、入ってみたり。
濡れるのがいやな子もいます。
汚れるのが嫌な子もいます。
タライにきれいな水を入れたら入ってくれる子もいます。
森のようちえんだからって、別に全員が泥水で遊ばなくてもいい、虫が苦手でもいい、野山を走り回らなくてもいい。
私が好きだから、泥プールしたり、虫捕まえたりするけれど、それは私が好きだからしているだけ。
違うことが好きな子はそれをしたらいい。
それぞれが違うことをしていてもオッケー。
やまぼうしの重要ポイントのひとつだと思います。
父との別れで、父が去ったあとも、大泣き、いや大怒りしていた彼。
しばらく怒り続けたら、横になって寝そうに。
そのタイミングでりょうこさんに抱っこされる。
そのまま寝るからなと思ったら、しばらくしたら自ら降りて、遊びだす。
復活。
彼を見ているといつも、自分の気持ちなり感情なりを出し切る大切さを思い知らされます。
泣いたり、怒ったりしていたら、かわいそうと思うかもしれませんが、それは言い換えれば自分の中の怒りや悲しみという感情を発散させている状態です。
彼は特にそうだと思うんですが、そうしたものを思う存分出し終わると、からっとして次に移っていきます。
その切り替わりを見るたびに、すごいなあと感心します。
スタッフさんが彼を見ていると、生き物だなあと思うって言ってました。
よくわかります。
自分の感情に素直で、その発散の仕方もストレートで、出し切ったらすっきりというシンプルさで、生きてるなあって感じがします。じゅんさんがはじめた和紙に絵の具をにじませる遊び。
和紙が味噌だそう。
こういう発想が全く皆無の私からしたら、いつも、ほーっ、へーと感心します。
子どもたちの作品も面白く、つぼみちゃんたちもなんだかその子らしい作品が出来上がっていきます。
アートだなと思います。
これはうちの長女がやりたいと言った片栗粉粘土。
片栗粉に水を加えるだけ。
水加減で、触らないと硬いけれど、握ると熱でとろりととける新食感の粘土ができあがります。
今度は大量につくって、遊んでみたい。
業務用を楽天で買わなければ。
今度は長い紙にお絵かき。
つぼみちゃんたちは、チューブから絵の具を出すのが楽しいみたい。
筆でぬたくるのも楽しいみたい。
あとは絵の具混ぜるのも楽しいみたい。
出す、とか、混ぜる、とか、そういうのを楽しむってのは、なにかしら心理学的な意味があるんでしょうね。
子どもたちのすることを見ていると、そうしたものを感じる時があります。