本日はくつわ池自然公園へ行ってきました。
一週間あくと、もう久しぶり感がある。
それほど、日常的に遊ばせてもらっているんだなあ、と実感します。
やまぼうしのメインフィールドはと聞かれたら、やっぱりくつわ池と答えます。
そして、最近の子どもたちのお気に入りは、この秘密基地。
子どもたちが遊んでいるそばで、落ち葉を掃除したり、危なさそうな枝などを撤去したりして、だいぶ整備されてきたように思うのは私の自己満でしょうか。
厚くても、木陰のおかげで涼しいのですが、逆にこれから寒くなったら、ここは影で寒すぎるかもしれません。
その時は、焚き火で暖まりましょう。
こうかな、ああかな、と相談しあいながら、時にはもめながら、なにかを一生懸命につくっていく。
いったい、なにを作っていたのか、最後まで分からなかったが。
一人がやりだすと、他の子も集まってきて、みんなで一緒に。
みんなで一緒にやりましょう、という時間はやまぼうしにはほとんどないけれど、こうして自然発生的に集まってきて、みんなで、ってのはよくある。
こういうのを見ると、元来、人間には集まって一緒になにかをしたいという感情が備わっているのだと実感する。
他にも子どもたちを見ていると、人間にデフォルトで備わっている能力ときうか気質とかいうかそういうのがあるんだろうなあと感じることが多々ある。
一番思うのは、優しさ。
子どもたちは、本当に優しい。
こういう言葉を使うのはあんまり好きじゃないんだけれど。
大人が干渉しなくとも、いや、しないほうが、子ども同士で助け合ったり、優しくしたり。
もちろん、喧嘩したり、もめたり、意地悪だなって思うことすることもあるけれど、それ以上に、やっぱり優しいなあって思う。
やまぼっこたちを見て、私は性善説を信じるようになりました。
彼のお笑い芸は大人が見ても、残念ながら大笑いするようなものじゃないけれど、子どもたちには大ウケ。
彼の真似をして、お笑い芸人が続出しておりました。
子ども同士の世界って、忖度ないから、面白かったら笑うし、つまらなかったら、「つまんない」って率直に言う。
残酷な時もあるけれど、裏表のない素直な言葉。
子どもたちには、そうした子ども同士の世界で、思う存分もまれてほしいと思うのです。
やまぼうしではよく見る光景ですが、ふと、これってぜんぜん当たり前じゃないんじゃないの、って思った。
なにが当たり前じゃないのかは分からないけれど、この木を持って帰りたいという欲求を受け入れてくれて、じゃあどうやって持って帰ろうかと、一緒に考えてくれる大人がいつもそばにいるっていうのは、すごくすごいことなんじゃないかと。
なんかよく分からないんだけど、自分でやっている園なんだけど、彼にりょうこさんのような存在がいて「よかったな〜」と言ってあげたい気持ちになりました。
読み始めた絵本を中断して、女子たちの話がまとまるのを待ちます。
まあまあ長い時間話し合って、無事に解決。
帰り道、車道に出て手を繋いでもらう時に、誰と手を繋ぐのかでもめる。
また話し合って、なんとか解決。
これも、もう子どもたちの話し合いを待つのは当たり前になっているけれど、こういう保育できて幸せだなあって思う。
決して、自分たちのしている保育が一番、だとも、これ以外は認めないともまったくもって思ってないんだけれど、やっぱり子どもたちにとってもいい環境なんじゃないかなあとは思う。
なにより、自分たちがしたい保育をさせてもらっているのが幸せで、さらに私の何百万倍優しいスタッフさんたちがその私たちがやりたい保育をさらに良いものにしてくれています。
だから、自分がつくりあげたという感じがなくて、どこか客観的に見ている部分があって、「やまぼうしっていいなあ」って思えるのかもしれません。