たいせつにしていること

みんなを追うリュックを背負った女の子

『スタッフは子どもの後ろから』

実際の立ち位置のことを言っているわけではありません。
いや、立ち位置も後ろからついて行くぐらいがちょうどいいのですが、もっと大切なのはそうした心持ちでいるということ。
 子どもたちがすること、話すこと、思っていることにそっと後ろから寄り添う。そんな保育をしたいものです。

「やりたくない」もひとつの自己表現

何かの活動をした時に、ある子が参加しなかったとします。私たちはそうした意見も尊重したいのです。
その子が参加しないのには理由があるはずです。
面白くなさそう、分からないから不安、他にやりたいことがある。どんな理由であれ、その子自身が決めたことを優先してあげたいです。ただ、そうした子を全く誘わないわけではありません。おうかがい程度の声掛けはしたいですし、途中からやりたそうにしているのを見たら、そっと声をかけてもあげたいです。

『ケンカは子ども同士の魂のぶつかり合い』

ケンカをしている子どもを見ていると、おのれの全精力、全人格でもって相手に気持ちをぶつけているように見えます。

自分の全力をぶつけ、相手もまた全力でぶつかってくる。

でも、ひょんなことから急に仲直りして遊び出す。

そんな光景も幼少時に特有なものでしょう。

年齢があがるにつれて、そのようなケンカはできなくなります。

したとしても、その後関係が以前のように修復されるかは疑問です。この時期にしかできないケンカをたくさんしてほしいと願います。

ただし、大きな怪我は避けなければいけません。

その危険性がある場合はスタッフが介入します。

また、これは収拾がつかないと判断した場合も介入します。

ケースバイケースです。


「やりたくない」もひとつの自己表現

何かの活動をした時に、ある子が参加しなかったとします。

私たちはそうした意見も尊重したいのです。

その子が参加しないのには理由があるはずです。

面白くなさそう、分からないから不安、他にやりたいことがある。どんな理由であれ、その子自身が決めたことを優先してあげたいです。

ただ、そうした子を全く誘わないわけではありません。

おうかがい程度の声掛けはしたいですし、途中からやりたそうにしているのを見たら、そっと声をかけてもあげたいです。